1984
- 作者: ジョージ・オーウェル,高橋和久
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2009/07/18
- メディア: 文庫
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舞台は、ビッグブラザーなる指導者率いる「党」が支配する「オセアニア」(イギリス、南北中央アメリカ、オーストラリア、アフリカ南部で構成)
四六時中、テレスクリーンなる機械で監視され、プライベートは存在しない。
思想や恋愛も党によって規制され少しでも異質な言動が見られれば粛清されてしまう。
まるで監視社会のモデルケース。
この息苦しい社会で主人公であるウィンストン・スミスは、ある事件をきっかけに党の正統性に疑問を持つようになる。そしてある時、党への反抗心を隠し持つ女性ジュリアと出会い、党への静かな反乱を開始する。
そしてついには党の支配を打ち倒し、この監視社会を解放する。
めでたしめでたし。自由バンザーイ!
と、そんなハッピーエンドとはいくわけもなく。
3章あるうち最後の3章目は党に捕まったスミスがひたすら拷問されるというヘビーな流れ。終わりもかなりエグいものとなっています。寝る前には読まないほうがいいかも。
権力は手段ではなく目的。
そして権力とは相手を支配する力。
権力自体が目的となったとき、その体制は盤石になる。
権力を握った結果、贅沢三昧からの堕落。そして反乱というのが歴史的に見られるよくあるパターン。(中国史とか)しかし、権力を持つことそれ自体が目的となった場合、権力側はその体制維持のために反逆者が生まれるようなことを絶対にしないだろう。
国内が完全に統制されても他国による侵略で体制が崩れるかもしれない。そう考える気持ちはわかる。
しかし、もしも侵略してきた国も同じような体制だったとしたら…
実際、物語の中では「ユーラシア」と「イースタシア」という国の存在が語られるが、その体制は「オセアニア」とほとんど変わらない。そして、戦争は国内統制と各国の余剰物資を消耗するためだけの八百長にすぎない。
僕はこの部分を読んでとても怖くなった。もう打つ手がないじゃんと…
巻末、トマス・ピンチョンが解説で言う「人間として食い止めがたい権力中毒」はオーウェルが生きた時代特有のものではないだろう。ちょっとのきっかけさえあればそれは今の時代にも顔を出すのではなかろうか。